こちらの記事は、2023年1月28日、https://note.com/ に掲載した内容を転載したものです。
農業の再開
会社の代表を退任する半年前の2021年4月、前年度の黒字化をきっかけに、数年前に撤退していた農業を会社の事業として再開することになった。
僕はメンタル疾患の療養中、無農薬の米と野菜で劇的に体調が改善した経験がある。そして、すでに述べたように大自然に心身を癒され、活力を回復するという恩恵も受けた。そんな僕にとって、農業という活動は言葉では言い尽くせないほど、あらがいがたい魅力があった。
福岡県太宰府市の中山間地に畑を借りて農園運営をスタートした。太宰府の霊峰、宝満山と四王寺山に挟まれた谷筋辺りの立地で、すぐ横を御笠川が流れている気持ちの良い場所だ。
開始直後の畑の様子
会社として農業専属のスタッフを雇用する選択もあったけれど、諸事情あって、代表である僕個人が農園専属になることを決心。会社の業務を午前中にこなして、午後から畑に繰り出すという日々が始まった。
畑仕事と内省の日々
4月から毎日畑に立つ日々と、会社をやめるきっかけになった葛藤を抱えていた時期とが偶然なのか必然なのか、重なることになった。自分の心を内省する環境としては最適だったと思う。
畑を借りてまず最初にやることは「土づくり」だ。種まきや収穫のような細かい作業ではなくて、肥料をまいたり耕したりする肉体労働がメインなので、適度な運動が良いリフレッシュになる。
休憩中に、キャンピングチェアに座ってボーッとしていると、なぜか知らないけど自分に素直になれるし、飾り気や欲気のない心の奥の自分の感情に気づくことができる。そんな状態でいられることは気持ちの良いことだし、心穏やかになれる。
結果的に、農園をスタートして半年後に会社を辞める決断をしたのだけれど、何もかもを唐突に決めたというよりは、素直な内省の日々を半年間継続していた心の土壌のようなものがあったのかもしれない。
会社を辞める決断をしてから、次にどんな仕事をするのか悩む必要は全くなかった。生きていく以上は働き続けなければならない。その時間の大半を農業に従事することができたら、どれだけ幸せだろう。そんなことを考えながら日々を過ごしていたから、退任後に農家になるというのは川の流れのように自然ななりゆきのように思えた。
農業漬けの日々の始まり
会社を辞めてから、農作業だけに没頭する毎日が始まった。当たり前だけど、改めて農業というのは大変な仕事だなと実感させられる。
数年前に農園運営をしていたときは、畑を貸してくださった農家さんが土づくりまでされていた畑だったし、トラクターで畝立てをするところまでやっていただけていた。僕たちは、種まき・草刈り・収穫さえやっておけば良かったのだ。
今回は土づくりからのスタート。元々田んぼだった土地で水捌けが悪いので、土木作業のような仕事も必要だった。何度も腰痛になって整体に通ったし、体の使い方の勉強もした。
暑い日や寒い日、疲労がたまっている日などは、「今日は畑に行きたくないなぁ」と思うのだけど、仕方なく畑に立つと、ついつい没頭して日暮れまでやってしまう。農業のあらがいがたい魅力っていうのは、こういうところでも感じられる。
農家として食べていく決意
好きなことを仕事にする以上、できればそれ一本で食べていけるようになりたいと思うのは自然な感情だと思う。それに、何年も「起業家」として生きてきたものだから、起業家精神は人並みに持ち合わせている。すぐには難しいかもしれないけれど、「いずれ農業だけで食べていく!」と意気込むのも無理からぬことだ。
新しいことを始めるときにつきものの「気負い」もあったかもしれない。兼業農家も立派な農家に違いないのに、どうして当時「農業だけで」という退路を断つかのような観念が頭に定着したのだろう。
一つは、農業の立ち上げが想像以上に大変だったというのもあると思う。自分の肉体が資本の仕事なので、事前にあれこれ考えていた構想なんて本当に役に立たなくて、身体を畑に運んで全身で経験することでしか分からなかったことっていうのはやっぱり多い。
仮に、農業以外の収入を充実させてしまうと、自分の弱い心はその収入源に傾倒してしまうし、そうなったらせっかく始めた農業がおざなりになってしまうという不安もあった。数年前には、せっかくお借りした農園を完遂できないという失敗もおかしている。「次こそは絶対に継続する」という覚悟もあった。
最初の植付と収穫
2021年秋、畑を借りてから半年ほどの土づくりの期間を経た頃、農業を教えてくださっている農家さんから、「そろそろ植えていいと思うよ」と言っていただけた。
ちょうどそのタイミングで、静岡県浜松市で農業を営む先輩農家、長谷川乾(かん)さんが、わざわざ太宰府までお越しになって農作業を指導してくださった。
乾さんのご指導の元、早速、ブロッコリー、レタス、小松菜、ほうれん草、大根、玉ねぎなどを少量ずつ植え付けた。乾さんのご指導がなかったら、最初の植え付けは翌年に持ち越しになっていたはず。遠路はるばる太宰府までお越しくださった乾さんには、本当に感謝しかない。
農業指導中の長谷川乾さんと筆者
植え付けの時期が遅く、間もなく寒い冬が到来したので野菜がちゃんと生育するか不安だったけれど、できてもできなくても、まずはやってみることが大切。
寒さに耐えきれなかったためか枯れてしまった野菜も一部あったけれど、春になるとほとんどが立派な野菜になってくれた。最初の植え付けにしては上出来の収穫になったと思う。
2022年3月、ある日の収穫
いのちの循環に身をおく
分からないことだらけの初心者農家だったけれど、初の植え付けと収穫を無事に終えて、多少なり手ごたえを感じることができた。農業をはじめて2年目となる2022年の春には、ほぼ畑一面に渡ってたくさんの野菜を植え付けし、借りた当時はただの野原だった土地が、ようやく畑として蘇った。
1年目は土づくりのための単調で厳しい肉体労働だったけれど、2年目は本格的に野菜の栽培が中心の仕事になった。毎日畑に通って、野菜の生育状態を観察する。当然だけど、畑で生きる植物は、野菜だけではない。その土地に自生している野草、川原の木々、日陰に生えるキノコ。
生き物もたくさんいる。蟻、ダンゴムシ、トンボ、蜂や、色とりどりの蝶々。ヘビを最初にみたときは驚いたけど、向こうも同様に驚いたことだろう。スズメやカラス、たまに美しい白鷺も飛んでくる。会社を辞めて、独りで一日中畑にいても、全然寂しさを感じない。たくさんの命に囲まれた生活。
畑が畑として十分に機能してくると、食べ物には本当に困らない。立派な野菜に育つ前でも、間引いた野菜を食べられる。ベビーリーフみたいな小松菜やほうれん草は優しい味で美味しい。間引き人参は根の部分こそ小さいけれど、葉っぱの香ばしい香りが食欲をそそる。
間引き野菜のみならず、人にあげたり売ったりできない生育の悪い野菜も何割かは出てくるので、もったいないから自分で食べる。それらを食べ切ることで精一杯だから、野菜をお店で買う機会はほとんどなくなった。
食卓に並ぶ食材のほとんどが自分の野菜。何ヶ月もそういう生活をしていると、おそらく自分の肉体のかなりの部分が、自分の畑で採れた野菜で構成されているんだろうなと思えてくる。人間っていうのは本当に、自分が食べた食べ物でできている。他の生命を、食べることで命をつないでいる。
有り難いことだ。本当に、有り難いことだ。
命をいただくということ。
「いただきます」という言葉、その奥ゆかしさを心と体全体で感じる。
いつからだろう、僕は畑の植物に「ありがとう」と声をかけるようになった。
「ありがとう、命をいただいて。」
「ありがとう、寒いけどがんばってね」
寒い冬、野菜のまわりの雑草たちが風よけになって、野菜が寒風にさらされるのを守ってくれる。
植物たちは互いによりそって、自らと地面を温めている。
畑をぐるっと見渡しても、冬は虫を見かけないけれど、野草や野菜のかげにじっと身を潜めて寒さを凌いでいる。
雑草も、虫も命だ。
すべての命が、人間の想像をはるかに超えた摂理によって、大きなひとつの循環を形成している。
その円の中に、何一つ意味のない存在はいないし、粗末にしていい命など決してない。
僕は、虫が殺せなくなった。
うっかり殺してしまったとき、言いようのない後ろめたさを感じるようになった。
雑草を抜くのも忍びない。
野菜作りという自分の勝手な都合で失われていいものか。
できるだけ雑草は抜かずに、野菜の生育の妨げにならない程度に低く刈るようになった。
命とお金
農業一本で食べていけるようになる!と意気込んで、半ば退路を断って、できるだけそれ以外の仕事をせずに過ごしてきた。
そんな想いで始めたのに、野菜という命を、「お金」に換算することに強い抵抗感を持つようになってしまった。人の命に値段をつけられないように、本来、野菜の命にだって値段をつけられないはずじゃないか。
大きな野菜、小さな野菜、なぜ値段が違う。
背が高い人、背が低い人、価値に違いはあるか。
色や形に特徴がある野菜。虫食いがある野菜。
すべて尊い命だ。
野菜や動物に値段をつける社会に対して、僕の勝手で独善的な正義を主張したいわけではない。
それはそれで必要だし、便宜的な設定でもって社会や経済がまわっていることに、元経営者として何の違和感もない。
ただしかし、なのにもかかわらず、頭ではわかっているのに、心がついてこなくなった。
誰も批判するつもりはない。
ただひとり、僕個人に関しては、命をお金に変える行為をうまく呑み込めなくなくなってしまったのだ。
経済的な行き詰まり
農業で稼ぐという道に違和感を感じ始めた僕は、野菜を売る活動をほとんどしなくなった。稼ぎがない以上、生活費で貯金がどんどんなくなっていく。会社から自分に出した退職金や、過去に一部引き受けていた業務委託報酬が底をつき、2022年の秋頃、銀行口座は空になった。
僕の銀行口座の残高が底をついたこととは無関係に、畑の野菜はぐんぐん育つ。できた野菜に値付けするのが忍びなくなった僕は、物々交換でお米や果物をいただいたり、お世話になった方々に野菜を贈ったりして過ごしていた。
農業以外で収入を得ようという気持ちがなぜか湧いてこない。意地になっていたのかな。自然の中で、たくさんの命に囲まれる生活に浸かりすぎて、「お金」という現実的で即物的なものに対して、潔癖すぎる態度になってしまっていたのかな。
お金がないので、家賃や光熱費、諸々の支払いが滞るようになった。滞納している支払いの通知書が毎週のように郵送されてくる。そして、毎日督促の電話がかかってくるようになった。
世間に迷惑をかけることは本望ではないのだけれど、自分の心は完全に行き場を失って行き詰まっている。自分のことをどうしようもない意地っ張りで面倒な性格だと思うけれど、そんな状況を救ってくれたのは、心ある友人たちだった。