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執筆者の写真中村義之

ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(7/7)



こちらの記事は、2023年1月28日、https://note.com/ に掲載した内容を転載したものです。

感覚や直感で生きる?


時を遡って2019年6月、僕は「森のリトリート」というプログラムに参加した。友人の成澤俊輔さんからの紹介で、株式会社森への代表(当時)であられた山田博さんにお会いしたことがきっかけだ。


当時の僕は、今よりも悩み多き時期を過ごしていた。病気をきっかけに生き方や働き方を見直していた頃。活動の中心を東京から福岡へ移し、のちに挫折したものの農業にも手を広げていた。


ビジネス一辺倒だった頃の僕が出会うことのなかった、多種多様な価値観や人生観を持つ方々に多く出会い、様々な経験を共にすることを通じて、それまで当たり前だと思っていた価値観や世界観に大きな揺さぶりを受けていた。


さらに、創業した会社は大赤字の真っ最中。大病をしたあとに意を決して創業した会社が失敗する不安。なかなかうまく軌道に乗らず、焦っていたし、自信も失いつつあった。


「中村くんは考えてばかりいるから、もっと感覚とか直感に身を任せたほうがいいよ」


新しく出会った人生の諸先輩方が、口裏を合わせたかのようにそのように仰る。これまでは、「思考」というものをどれだけ研ぎ澄ますことができるかが、人生、少なくとも会社経営においては勝負であると思っていた。


直感や感覚に従うっていうのはどういうことなんだろう・・。頭で考えてみてもよく分からない。分からないが故に、実践してみることもできない。そんなときに出会ったのが、山田博さんであり、「森のリトリート」というプログラムだった。



山田博さんとの出会い


山田博さんに初めてお会いしたのは2019年4月。たしか、雨の降る東京のどこかの街だったと思う。アポイントの前日に、「森のリトリート」のホームページを拝見すると、「感じることを大切にする」とか「身を委ねる」などの言葉が並んでいる。思考でガチガチだった僕でさえ、当時の自分に必要な体験のように思えた。


博さんに自分の悩みや課題を打ち明けると、ぜひ参加してみるといいよと背中を押していただけた。そして、じっと何かを思索されておられるように見えたあと、ふいにこう仰った。


「君は、石垣島の森に行ったほうがいい気がする」


2ヶ月後の6月末に、沖縄県の石垣島で開催予定の「森のリトリート」がある。それに参加してみてはどうか、とのことだ。どうしてそのように思われたのか理由をお尋ねすると、「直感だよ」と。ふーむ、面白い世界だ。帰宅してすぐ、ホームページから申し込みを済ませた。



石垣島の森


「森のリトリート」のプログラムはシンプルだった。森の中に入って、一人きりでじっとしていること。ただそれだけ。何を感じるかは人それぞれ。当時の自分にとっては、振り切った内容のプログラムがとても魅力的に映った。


石垣島の森のリトリート。参加者は7人いた。とても特別な集まり方をした7人だったのだけれど、それはまた別の機会に書こうと思う。


プログラムの初日はガイダンスを受けたあと、昼ごろに森に入って、日暮れ前に森を出る。7人は森に入ったあと、散り散りになって他の参加者が視界に入らない場所に移動する。どこに行っても自由なのだけれど、僕はそれほど遠くない場所で、居心地のよさそうなスペースを見つけて腰をおろした。



感情の蓋を開ける


考えずに、感じる。このプログラム中は、それに徹してみよう。そう決めていた僕は、ふと、座禅を組んでみようと思いついた。病気療養中に、メンタルに良いと勧められて取り組んできた座禅。感覚に身を委ねるならば、うってつけじゃないか。


どれぐらいの時間、座禅を組んでいただろうか。よく覚えていない。座禅だけをして一日を終われるほどの集中力は持ち合わせていない。いったん座禅をやめた。


周囲の気配に耳を澄ませてみる。鳥の鳴き声、虫の音、風が吹くと草が揺れる音がする。

においはどうだろう。まもなく7月になろうとする石垣島は暑く、自分の汗のにおいをまず感じる。土をにぎって、においを嗅いでみる。


なんだか視界が広くなったように感じる。森は緑一色じゃないようだ。「緑」とは一口に言えないほど、多様な色に満ちている。


意識がボーッとしてきた。思考が思考でなくなる感覚。まどろみと覚醒の中間ぐらいを漂う感じ。


変なアイディアが浮かんできた。


「君は今、どんな気持ち?」


自分の心に初めて投げてみる問いかけ。


問われた心は、突然震え出し、涙がとめどなく流れてきた。


そうか、僕は、悲しいんだ。ずっと、悲しかったんだ。


それから後のことは覚えていない。「なぜ悲しいのか」は考えなかった。思考の先に答えはない気がしたから。泣き疲れた後は、多分ボーッとして過ごしていたのだと思う。



ただ、ここにいるだけでいい


2日目は、早朝から森に入る。2泊3日のプログラム中、最も長く森にいる日だ。7人は前日と同じ森に入っていき、また散り散りになる。


気分を変えて、もっと奥へ行ってみよう。森にいることに慣れてきたら、奥の方まで歩きたくなった。ずっと離れた場所に、四方を大きな樹々に囲まれた平らなスペースを見つけた。なんだか居心地がよさそうで、そこに腰をおろした。


また、座禅を組むところから始める。できるだけ思考を手放す。でも、前日のようにうまく集中できない。どうしても雑念が込み上げてくる。仕事のこととか、人間関係のこととか、プログラムを終えたら何を食べようとか。


雑念におちいっている自分に気づく度に、呼吸に意識を戻した。


違う違う、考えちゃダメ。


今はただ、座っているだけ。


ただ、ここにいるだけ。


そうか、ただ、ここにいるだけで、よかったんだ!


そう気づいた刹那、白い稲妻のような閃光が、頭のてっぺんからみぞおちにかけて、体を突き刺した。


「ただ、ここにいるだけでいい」


その言葉が光の矢となって体をつらぬき、全身が白い光で満たされた。

涙が、滝のようにあふれてくる。


これまでの人生が、走馬灯のように脳裏をかけめぐる。


ただ、ここにいるだけでよかったのに、人を傷つけた。


ただ、ここにいるだけでよかったのに、心に傷がついた。


ただ、ここにいるだけでいいよと、両親は愛してくれた。


ただ、ここにいるだけでいいよと、大切な人に言えなかった。


僕は、ただ、ここに、生きて、いるだけでよかったのに、それに気づかずに、多くの人を傷つけて、傷ついた気になって、無償の愛を受け取ることができずに、そうか、それで、僕は、悲しかったんだ。


涙がとめどなく溢れてくる。白い閃光に貫かれたみぞおちには、ぽっかりと穴があいたようだった。



安心感の重量


石垣島で空いたみぞおちの穴には、ずっしりとした重さがあった。その重量に意識を向けると、どういうことか安心感を得ることができた。穴を通して、森と繋がっているような感覚。


繋がりの安心感に重さがあるのであれば、持って歩いたって悪い気はしない。僕はそれから半年ほどの間、その重さを愛おしみながら日々を過ごした。でも、それも半年で消えた。重りが砂鉄に変わって、波にさらわれるようにして、いつしか失われたのだった。



旅のはじまり


ただ、ここにいるだけでいい。石垣島の森に教えてもらったこの言葉は、真実なんだと思う。なにもしなくていい、なにものにもならなくていい、ただ、生きているだけで、命あるだけで、すばらしきこと。そう、きっとそうなんだ。


だけど、なんで、「偉大なことを成さないと死ねない」などと願う。だけど、なんで、自分の主義や方法論を押し付ける。だけど、なんで、余計な執着や偏見を身につける。


ただ、ここにいるだけでいい、そう信じたいのに、信じきれない自分。余計なものは全部脱いでしまいたい。波にさらわれるならば、余計なものほど流されるがいい。


信じたいけど、信じきれない。ならば、信じられるまで旅を続けよう。目の前にある、人生という旅を、試練を、越えていこう。


「ただ、ここにいるだけでいいよ」


僕はそう伝えたい。自分に、そして、人に。


旅をつづけるほどに、その声に確信が宿ることを祈って。



「農家」という舞台に立つ


「本当に『農業』がしたいの?」


10年来お世話になっている勝屋祐子さんに投げかけられた問い。


先日、「月1万円の野菜配送」をご主人の勝屋久さんにご提案した際に同席してくれて、直近で自分が向き合っていた葛藤について対話のお時間をいただいた。


「農業をやりたい」、この気持ちに嘘はない。ただ、自分が本当にやりたいことは、野菜をつくる行為そのものではなさそうだ。


「一流レストランで使われるような野菜づくりをしたい」とか、「大農園を経営して多くの食卓に届けたい」などの願望はない。もちろん、そういう行為はとても立派なこと。ただ、自然界の循環の中でそれぞれの生命がそれぞれの役割を担っているように、僕には僕の社会における役割がありそうだということ。


僕はきっと、自然の力を最大限に引き出した野菜作りをして、それを人に届けることで、何かを伝えたいんだと思う。表現したいのだと思う。


「ただ、ここにいるだけでいい」というメッセージには、色々な意味が含まれている。


命の尊さ、素晴らしさ、可能性、奇跡。


生きることの喜び、すべて許されている自由、無償の愛の持つ力。


「農家」という職業を舞台装置として、僕はそういうことを伝えていきたい。そして、変なこだわりを持たず、しなやかに、自分なりの農家の形を築いていきたい。


そのあり方は、きっと自然界が教えてくれると思う。石垣島の森が、教えてくれたように。



最後に


兼業農家も立派な農家だ。前から思っていたけど、いくつもの葛藤を乗り越えて、本当にそう思う。これからは、農業以外にも色々なことを積極的にやっていきたい。


自分のために、色んな舞台を用意して、自分が世界の中で担う役割を演じてみる。これからもたくさんの壁にぶつかるだろうけれど、これまでと変わらず、自分らしく乗り越えていこう。


「ただ、ここにいるだけでいい」


それが大自然がもたらした真実の言葉ならば、人それぞれ、信じる旅路を歩いているんだろう。


自分以外に、自分の人生を生きるものはいない。


同じ道は歩けないけれど、自分の旅の歩き方が、誰かの参考になったなら、この上ない喜びだ。


もし、あなたの人生の旅路といつか交差することがあったなら、


「ただ、ここにいるだけでいい」というメッセージを、お互いに、それぞれのやり方で、伝え合えることを心から願っている。



(終)




長い文章を最後までお読みいただき有り難うございました。文章の中で名前をあげてご紹介させて頂いた方々の他にも、文脈の都合上ご紹介できなかった多くの皆様に支えられて今の自分があります。心から感謝申し上げます。



2023年1月28日、中村義之

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