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執筆者の写真中村義之

内省と内観と私 〜心と上手に向き合う方法〜(3/4)

思考ではなく感覚で推理せよ


推理小説や探偵ドラマが好きな読者の方がいたら、ぜひ名探偵となって思考や感情の発生要因を推理してみてほしい。「迷探偵」ではダメだ、名探偵でなくてはならない。なぜかというと、一見正しそうに見える要因が真犯人とは限らないからだ。狡猾な真犯人は巧妙なトリックを使って別のものを犯人のように思わせるものだ。


例えば、車を運転をしながらイライラしているとする。ここで内省の出番だ。まず、内観をしてイライラする感情をとらえるところから名探偵は推理を出発するだろう。イライラしていると頭に血が上って、体温が上がってくる。おでこのあたりに血が溜まっている感覚だったり、なんだか体がムズムズしたりしているのを感じる。なんとなく、全身に不快感がある。もしかしたら、貧乏ゆすりをしている自分に気づく人もいるかもしれない。


「あー、イライラしてるなー、イライラするー。」


という自分を内観して、身体感覚までしっかり観察することができた名探偵。さて、なぜイライラしているのだろうか。原因の特定に推理を進めていく。前を走る車が遅くて自分のペースで走れないからか?信号がことごとく赤で予定の時間に遅れそうだからか?渋滞にはまっているからか?状況次第では、確かにそういった交通事情が真犯人であることもなきにしもあらずだろう。しかし、そこで推理を止めてしまったら名探偵にはなれない。無実の善人を警察に突き出してしまったら大変だ。慎重に推理を進めよう。


果たしてあなたは、渋滞の時にいつも必ずイライラするだろうか?前を走る車が遅い時はいつも必ずイライラするだろうか?もし仮に、必ずしもイライラしない場合があるとしたら、それらを犯人に特定するのは控えたほうがいいだろう。では、この複雑に絡まり合った状況をどのように解きほぐしていけばいいだろうか。名探偵は、必ず「証拠」をつかみ、犯人を特定しなければならない。「証拠」とは何か?容疑者や関係者の「証言」や「記憶」「憶測」を証拠にしているようでは探偵は簡単に騙されてしまうだろう。名探偵であるからには、確固たる「事実」に準拠する必要があるのだ。


内省における確固たる「事実」とは何だろうか。こう覚えておいてほしい。「思考は嘘をつくが、身体感覚は嘘をつかない」と。そう、思考は間違うものだ。思考とはあやふやなものだ。特に、感情的になっているときの思考ほど拠って立つのが危ういものはない。しかし、「身体感覚」はいつも正直である。身体感覚はほぼ確実に正しい(もちろん何らかの疾患で異常がある場合は別だが)。よって、名探偵が推理を組み立てるときに使うパーツは、できるだけ身体感覚を多く用いて、思考は接着剤ぐらいの用途にとどめておくのが賢明なのである。


名探偵はこう推理を進める。イライラする。イライラしている自分に気づく。イライラから生じる身体感覚を感じる。なぜイライラしているのだろうと考える。周囲の状況を観察する。イライラの要因になりうる現象は発生しているものの、それを原因と断定することには慎重な態度を取り、一旦控えることにする。さらに一層深く身体感覚を観察してみる。頭の先から足先まで上から下にスキャンするように注意深く観察して、自分の体で最も不快感が生じているところを特定する。


さて、このように慎重で「客観的」な推理を遂行した名探偵。膀胱の辺りに鈍い不快感があることに気づいた。まさか、尿意が真犯人か?名探偵は車をコンビニの駐車場に止めて、店員にうやうやしくトイレの使用許可を求める。トイレで用を済ませた後、不快感が消滅したことに気づいた名探偵は、心の中で叫んだ。


「犯人はお前だ!」


そう、犯人は尿意だったのである。渋滞でも赤信号でも前の遅い車でもなく、真犯人は身内の中に隠れていた意外なものだったのだ!用を済ませた名探偵は、トイレ使用と犯人特定の協力へのお礼としてキシリトールガムを一つ購入して駐車場の車に戻った。


と、まぁこんな感じで、感情や思考の原因が身体的な不快感や生理現象であることは、本当に頻繁に発生している。尿意だけでなく、空腹や眠気、疲労なども典型的なものだ。たかが生理現象といって侮ってはいけない。これらが起点になってさまざまな不快な感覚が生じて、知らず知らずのうちにネガティブな感情や思考を二次的に引き起こすことは本当に多いのである。もちろん、思考を思考だけで解決できることもあるし、生理現象ではなくて外界の現象が要因であることもある。そのような場合はある意味では分かりやすく原因を特定できるので、敢えてここでの例としては出さない。重要なことは、一見正しそうな正解に惑わされることなく、慎重に注意深く観察して特定しよう、ということだ。



特定した原因への対処法


ここまでの説明で内省の定義の前半部分が完了した。「自分の中に生じる思考や感情を客観的に認識し、それらの発生要因を省みて特定する行為」を実践することができるようになったということだ。しかし、特定したからにはそれに対処したくなるのが人間というものだろう。僕の内省の定義は次の文章に続いている。


また、特定した上でその思考と感情をどのように取り扱うかを判断する行為まで含む場合もある。


思考や感情が発生していることに気づき、その原因を正しく特定できたとして、それをどのように取り扱うと健全なのであろうか。僕の考えでは、原因を「正しく」特定できてさえいれば、その適切な対処法を導き出すのはそんなに難しいことではない。


先の例で言えば、運転中のイライラの真犯人を「赤信号」だと間違えて断定してしまった場合、高速道路に乗り換えたとしてもそのイライラは解消されないだろう。「尿意」が真犯人なわけだから、「トイレに行って用を足す」が正しい対処法である。真犯人さえ特定できれば、対処法の考案はいたって簡単だ。空腹が原因であれば、何か食べればいいし、眠気が原因であれば、仮眠を取ればいい。以上、説明終わり。なんて結論づけてしまうこともできるんだけど、せっかくの有料記事なので、文字数を気にすることなくもうちょっと踏み込んで考えていきたい。


心の問題への対処法


真犯人が生理現象でない事件も、人生ではたくさん起きる。そして、その多くは心の問題だと僕は考えている。人間の抱える悩みや気がかりの四割が生理現象であれば、心の問題がまた四割、その他諸々で二割という感じだろうか。まぁ、割合なんてどうでもいい。真犯人が「心の問題」だった場合の健全な対処法について考えていこう。


心の話に関しても、事例を出して論を進めて行ったほうが分かりやすい。というか、事例がなければ抽象的な論調になって、何を言っているかよく分からないと思う。書いてるうちに僕自身が迷子になりそうだ。


例えば、こういう事例があるとする。



心の問題の事例:Aさんの場合


Aさんは会社勤めのビジネスパーソンで、職場で上司から指示を受けた。その指示というのは、明日の会議が始まるまでに、担当しているプロジェクトの報告書をその上司に提出せよというものだ。Aさんは、帰宅して就寝前に瞑想を実施している。瞑想をしながら、何か落ち着かない気持ちになる。そして、ずっと報告書のことを考えている。


報告書のことばかり考えていることに気づいたAさんは、次に身体感覚を観察してみる。少しばかり心拍数が上がり、胸の辺りに緊張感があることに気づく。尿意や空腹はないし、眠気も疲労感もそんなにあるわけではない。なんだろう、何が原因だろう。引き続き注意深く観察を続けるAさん。


観察するにも集中力が必要だ。集中力が切れたAさんは、瞑想しながらまたついつい考えごとをしている。報告書のことを考えている。途切れ途切れになりながらも粘り強く観察を続けたAさんは、ようやくあることに気がついた。明日提出する報告書が上司からどんな評価を受けるのかを心配している自分に気づいたのだ。


明日が期限の仕事を、なぜ前日の今日に指示されなければいけないんだろう。そんな短時間で質の高い報告書を作成することなんてできるだろうか。もし良い報告書が作成できなければ、上司から叱責を受けるのではないか。仕事ができないやつだと低い評価を受けるのではないか。そんなことばかり考えているAさん。確かに、尿意や空腹や眠気が原因ではなさそうだ。


そんな事例があったとする。もちろん、「仮定」の話なので、ここで正しい原因を特定することはできない。しかし、それでは話が進んでいかないので、それも仮定してしまおう。仮にAさんが「報告書の出来栄え次第で低い評価を受けることへの恐れ」を原因として特定したとしよう。「低い評価を受ける恐れがなぜ発生するか」を突き止める冒険をするほどには、Aさんの心の準備はできていない。Aさんの心のステージにおいては、「低い評価への恐れ」が「とりとめもない不安や思考を発生させる原因」として特定するのが適切だと仮定しよう。


さて、どんなふうに対処するのが適切だろうか。Aさんは、急に依頼された仕事の出来栄え次第で上司から低い評価を受けることを心配している。職場から帰宅しても、ずっとそれが心配で考えごとをしてしまっている。あまり気持ちの良い状態ではないし、睡眠の質を悪化させる可能性もある。今回だけ発生する事象であればそこまで気に病まないが、こういった些細なことに不安になってしまうことは、Aさんの人生で頻発している。せっかく瞑想を始めたことだし、できれば従来よりもマシな対処法で向き合いたいとAさんは思っている。誰かさんのように「蓋をする」ことは健全でないと賢明にも理解している。



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