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執筆者の写真中村義之

上場&うつ病後に起業した僕が、4期連続大赤字でキャピタルゲイン全焼→5期目で起死回生の黒字化を果たした話(2/5)



こちらの記事は、2020年7月15日、https://note.com/ に掲載した内容を転載したものです。

メンタルを病んだ僕の起業スタイル


さて、僕も起業家のはしくれなので、創業理念などは人並みに持ち合わせているのだけど、それは過去に書いたブログに譲るとして、ここでは僕が「どんなスタイルで起業したか」を紹介したいと思う。


「精神的・経済的負荷を最小化して、小さくても早期に収益化する事業から始める」


今思えば何とも小さくまとまった、気の小さいやり方だなって突っ込むしかないけど、当時は不安しかなかったし、大真面目で考えてた。


上記のテーマを達成するためのスタイルを具体的に挙げると・・


①株は100%自己資金。エクイティ、デット問わず外部資本は調達しない。

②バーンレート最小化。東京は高コストなので、地元福岡で起業。

③1から10まで全部自分でできる事業をやる。人を雇わない。

④早期に収益を立て、以後は営業CFの範囲内で再投資する。


蚤の心臓で意思決定するとこういう起業スタイルの出来上がり(苦笑)。


4年後の今と比較すると、デットもエクイティも調達して、人も雇い、収益化がめっちゃ遅かった、という、、すべてのスタイルが崩壊したわけだ。


ではなぜ当初のスタイルが崩れていったか、4年間のプロセスを振り返ってみる。



創業事業を選んだ理由


「地方の産業をサステイナブルにする」「地方から新しい産業をつくる」ことをテーマにして、事業テーマを検討していた中で、最終的に選んだのは、「東京からUIターンする人材と地方企業とのマッチング事業」だ。


社名もそのまま「YOUTURN(ユーターン)」として、2016年5月に法人登記。いわゆる人材紹介業を生業として、病み上がりの僕は社会復帰をスタートした。



◆「移住転職専門の人材紹介」のビジネスモデルを選択した理由

・事前の情報収集で多くの経営者が人材不足に悩んでいた(ニーズの確認)


・多くの地方(特に九州)出身者がUIターンを望んでいる統計と肌感


・完全成功報酬モデルなので、前もっていただくお金がなく、成果に対する精神的負荷が低い(もちろん契約いただいた以上努力することは前提)


・紹介人材の年収の3割を成功報酬としていただけるので、年間数件決めさえすれば、自分一人食べていくには十分


・マッチングビジネスは前職で経験済み。得意なスキル、経験を活かせるので学習コストが少ない


・地域をまたぐ移住転職のドメインでは競合不在なので競争で消耗しない



以上が、移住転職専門の人材紹介業を創業事業に選んだ理由、というか仮説。実際には、この仮説が大きく外れていくわけだ。



1年目の活動


1年目は、リハビリみたいなものだった。

会社をつくったけど、自分一人の「ぼっち起業」だし、お客さんもまだいないので、のんびりサービス開始の準備をしていた。


・求人サイトの開発(Railsを勉強して自分で開発)

・有料職業紹介業の免許取得手続き ※厚生労働省

・各種契約書、プライバシーポリシーなどのドキュメント作成


基本的に自分一人で完結する仕事なので、それなりに楽しく、ストレスのない牧歌的な時期だった。だけど、早くもちょっとずつ計画がズレ始める。



1年目の誤算


・初めてのプログラミングなので、開発スピードが遅い(当たり前や 汗)

当初、年内にはサービスをローンチしたかったんだけど、プログラミングを学び、教えてもらいながら進める開発は想像以上に時間がかかった。



・一人は楽だけど、手が足りなくてスピードが遅い

例えば、システム開発をやってるときは契約書の作成が進まないし、逆もまた然り。人的ストレスの負荷は少ないけど、もどかしさも募っていった。


・対話の相手がおらず、孤独感が募る

一人でやるより、チームでやる仕事が好きなんだなと、このとき初めて気づく。このまま当面一人でやったとしても、これって幸せなんだっけ、楽しいんだっけ、などの疑問が生じる。


・病気再発の恐怖から長く働くことができない

病気の後遺症だと思うけど、半日も仕事をするとすぐに脳が疲労して、前職当時の3分の1程度の時間しか稼働できないコンディションに、もどかしさを感じていた。


・初対面の人に会うことが、異常に緊張して疲れる

一番キツかったのがこれ。福岡は地元なんだけど、ビジネスとしては初めての街。

新しい出会いは嬉しかったものの、翌日、初見の人とのアポが入っていると、前日の晩から緊張。実際会う直前になると心拍数が高くなる。無事にアポを終えたら、ゲッソリ疲れてその日は仕事が手に付かない。


こんな状態で起業したものだから、ちょっとした仮説のズレが、徐々に大きく広がっていくことになる。


1年目はそんな感じでサービスインの準備で時間がただ過ぎていき、焦燥感とともに2期目へと突入した。



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