こちらの記事は、2023年1月28日、https://note.com/ に掲載した内容を転載したものです。
登山と巡礼に救われる
長い無気力状態の自分を救ってくれたのは、登山と巡礼だった。
あらゆることに対してエネルギーが湧いてこない状態なのに、なぜか無性に山に登りたくなる。神社・仏閣にお参りしたくなる。その時だけは元気が出る。
2020年は登山1年目の初心者だったけれど、憧れの霊峰、白山のテント泊登山に挑戦したし、四国で雪山登山デビューも果たした。初心者にしては、上々のステップアップだ。
夏には、いつか行ってみたいと思っていた四国八十八ヶ所のお遍路を車で廻って、秋には出羽三山の羽黒山で修験道の体験塾に参加した。自然や神仏など大いなる存在に対して、「祈る」という行為の持つ尊さと力を、身をもって知ることができた。
2020年10月、白山。初冠雪の翌日に登拝。
創業4年後に事業の価値を確信
大自然にいざなわれるようにして、登山や巡礼に身を投じる日々が続くと、次第に心身に活力が蘇ってきた。
10年間に渡って執着してきた野心を手放して、もぬけの殻のようになっていた。そんな状態でも、大自然に対しては心から感動できて、その感動がエネルギーに転換されるという好循環。
自然とともに生きる。自然に生かされている。
高層ビルに囲まれた大都会だって、山や森と同じく、地球という一つの大地の上に立っている。大都会に生きる人々が、自然から隔絶されているとは思わない。大自然の持つ包容力とは、そんなにちっぽけなものではない。
ただ、都会に暮らしていると自然のもたらす恩恵や、自然の循環の中で生かされていることを実感しづらいことは事実だと思う。その実感が安心感を生むし、安心感が自然への感謝を引き出し、その感謝と畏敬の念が、生きるエネルギーへと転換されていく。
2016年、株式会社YOUTURNという会社をつくり、首都圏から地方への移住を促進する活動を始めた。創業当時はその事業が持つ意味をこれほどまでには実感していなかった。自然を近くに感じられる場所で生きることの価値。2020年、その恩恵を全身で感じた僕は、改めてこの事業を始めることができたことに感謝した。
「起業」や「事業」に対する野心を手放した後に、自分が始めた事業の持つ本質的な価値に気づくなんて、本当にどうかしている。
企業農園の再開
大自然の恩恵を受けて徐々に活力を回復してきた僕は、創業来の念願だった「会社で農園を持つ」を数年ぶりに再開することを決心。
2017年から2年弱ほど農業を始めていたのだけれど、会社の大赤字によって断念せざるをえず、あえなく撤退。2020年、事業が黒字化したことを受けて、農業を再開するための準備を開始した。
自信の回復
2020年度の決算概要が、2021年3月に見えてきた。それまでの大赤字から一転して、初の通期での黒字決算。
メンタル疾患という挫折と、起業後の大赤字と倒産の危機を何年も続けてきた僕は、大いに自信を失っていた。自分には経営の才能がないんじゃないかとか、経営者としてのタフさが足りないんじゃないかとか。
そうやって失われてきた経営や事業に対する自信も、初の黒字決算でようやく回復することができた。経営の才能の有無は分からないけど、何とか倒産せずに会社を継続できていること、しっかり利益を捻出することができたことには胸を張れる。
登山や巡礼での心身の活力の回復と、経営への自信の回復、そして、運営している事業の価値を再確認したことによって、事業を通じて実現したい構想がどんどん膨らんでいった。
執着の再燃
自信を回復して、事業でやりたいことが増えること自体は悪いことではない。むしろ喜ばしいことだし、自分の心の中でささやかに祝うぐらいであれば何の問題もないだろう。
しかし、このときばかりは、ポジティブな結果につながらなかった。20代の頃であれば、そのまま一直線に迷わず突進したはずだ。30代の後半に差し掛かっていた僕は、残念ながらそんなにシンプルに片付かなかった。つくづく、面倒な性格をしているなと思う。
僕は生来せっかちな性格で、「これをやりたい」と思ったら、万難を排して、早急に、徹頭徹尾打ち込みたくなってしまう。事業を成長させ、拡大させる明確なイメージが頭の中で出来上がったとき、一刻も早くやるべきことに着手し、できるだけ早く実現させてしまいたい。
これを執着と呼ばずに何と言おうか。熊野古道で捨て去った野心か、あるいはまた別の何かが、自分の中で黒く燃え始めた。
一刻も早く、事業を飛躍させたい僕は、一緒に働いているメンバーにさらに多くを求めたいという衝動に駆られた。
自分が考えている通りにやれば、必ず成果がでるはずだ。
なぜできないんだろう。なぜ分かってくれないんだろう。もどかしい・・
あれ・・、おかしい・・、こんな執着とはサヨナラしたはずなのに。
100%人のために生きるって決めたじゃないか。
なんで自分のやり方を押し付ける?
なんでこんな衝動が湧いてくる?
僕が描いている事業の構想を実現したいと願うあまり、執着を再燃させてしまっている。そうなってしまったら、僕の人生はまた逆戻りだ。少なくとも、この衝動に決着をつけない限りは。
衝動や欲求は、抑圧すればするほど精神を病んでいく。しかし、衝動や欲求に駆られる自分にはほとほと嫌気が差している。数ヶ月間、この行ったり来たりの葛藤に悩みつづけた。
そしてこの葛藤は、自分さえ予期せぬ形で決着することになった。