瞑想のススメ
こちらの手引きで解説している筆者の内省の技法は、筆者が独自でゼロから案出したものではない。坐禅や瞑想の実践から得た経験に、大きな影響と恩恵を受けている。
従って、瞑想を日々実践している読者の方がいたら、とても取り組みやすいものだと思う。もちろん、瞑想に馴染みのない方にもできるだけ分かりやすく解説していくつもりだが、もしご興味があれば「瞑想」あるいは「マインドフルネス」と名のつく書籍を手にとって理解を深めていただくことをお勧めしたい。
ステップ1 思考を止める
「雑念」にとらわれない
最初のステップにして最も難しい行為と言っても過言ではない。思考というものは、とめどなく湧いてくるものだし、怒りや不安の感情に支配されているとき、その思考を止めることは困難だ。
しかし、「思考」にとらわれている限り、内省で大切にしたい「感情」に意識を向けることは難しい。強い感情に支配されているときに湧いてくる思考は、およそ論理的な体裁をなしていない。むしろ、「雑念」や「妄想」「妄念」と呼称した方がふさわしいだろう。
それら「雑念」の正体は、熱くなった感情から湧き出す「湯気」のようなものだ。本来、対処したい対象はその原因となる感情であって、湯気のように実体のない雑念的思考ではない。なので、まずはそれにとらわれないようにしよう。では、どうすれば思考を「止める」ことができるのか。
瞑想の手法 : 思考を追わない
そこで、瞑想の手法の出番である。感情が熱く煮えたぎっているとき、そこから湧き立つ湯気の発生を抑えることはできない。つまり、「雑念が湧いてくる」という事象自体には諦めをつけよう。仕方ない。熱いのだから、湯気は出る。
どうすればよいか?それは、湧いてくる雑念を追わないことだ。「あ、また雑念にとらわれてる」と気づくこと。「気づき」を与えれば雑念は止まる。雑念的な思考に陥っている自分に気づき、それ以上追わない。これで思考は止まる。そしてまた次の雑念が湧いてくる。ついついまた気を取られてしまう。再び気づきを与えて、思考を止める。その繰り返し。
最初は難しいかもしれない。ただ、これは慣れの問題で、訓練次第で徐々に次なる雑念の発生を遅らせることができるようになる。筆者自身も、瞑想や内省を始めた当初は、自虐的に自身を「感情の奴隷」と表現していたほど難しい行為だった。焦らず、日々の習慣にできることを意識されたい。
ヒント : 呼吸に集中する
人間とは面白いもので、「何かを気にしない」ということが難しい。「気にしない、気にしない」と思うほどに「気にして」しまうものだ。なので、逆に一つのことに集中することで、「気にしたくないもの(この場合は雑念)」を意識の外に置きやすくなる。
その一つのこととは、「呼吸」である。思考を止めるためには、まず呼吸に集中する。鼻や口の皮膚に空気が触れる感触に集中する。雑念に気を取られて、呼吸から意識が逸れたら、それに気づき、また呼吸に意識を戻し集中する。その繰り返し。
雑念や妄念は止まることがない。大事なのは、対処したい感情への集中を妨げられない程度に発生頻度を抑えることだ。完全に止まることは一生あり得ないので観念しよう。
雑念の発生が穏やかになってきたら、感情に意識を向ける準備を始める。長くなったのでそれは次の記事に譲ることにする。