【内省の手引き】#011 ステップ8 内なる意思と願いの発見

更新日:6月25日
特定した観念を手放せるか
前のステップでも述べたことではあるが、大切なことなので繰り返し述べておく。負の感情を引き起こした観念を特定したとして、それを手放す決断はできただろうか?
前の例でいえば、「自分の会社の経営に対して人からとやかく言われたくない」という観念を発見した経営者は、少なくとも2つの選択肢を持つことになる。
人の意見に耳を貸さずに我が道を突き進むか、そのようなこだわりを捨てて他者の声に対して心を開くかの2つだ。
分かりやすいストーリーを例として挙げているので、読者の多くは当然、取るに足りないこだわりなど捨ててしまうほうが得策だと思うだろう。
しかし、現実的には状況はもっと複雑なことが多い。
それまでの生い立ちや背景・文脈、問題にかかわる人間関係やステークホルダー、社会的一般通念や倫理観、経済的状況や健康状態など、様々なファクターが絡んでくると、特定した観念の是非や軽重は竹を割ったように明快な見え方をしない。
特にネガティブな感情をはらむ問題に直面している当事者は、渦中にいるため問題や自分自身を客観的に把握することが難しい。筆者が人生相談や経営相談を承るケースの多くがそういう場合である。
そのような複雑な状況にあって、自分の内面だけを見つめて内省を深めることは難しいことだ。負の感情が生々しく心の内にあるとしたら一層難易度は増すだろう。
それでもめげずに自分と向き合って、ある観念を特定し得たとする。
もしかしたら、予想に反して、自分が大切にしたい価値観が生み出した観念かもしれない。
そのような観念を手放せるかどうか。しっかりと時間をかけて、あるいは心の声に従って、決断をしたらいいと思う。
内なる意志と願いの発見
観念を手放した場合の選択肢を検討する
観念を手放すか否かの決断の一助となるのは、もし仮に手放した場合に選択可能となる選択肢について想像してみることだろう。
他者から特定の言動をされた際に、何かの観念が働いてネガティブな感情が湧き上がるとする。もしその観念を手放すことができたら、将来同じようなことが起きても不快な感情が再び発生することはないはずだ。
また、自分の世界の見方の偏りによって生じる制約を取り払ってみた場合、自分の人生やキャリアの展望が開けるとしたら、これまで大切にしてきた世界観は用済みになるかもしれない。
執着の場合はどうだろうか。手放すことが惜しい気持ち、未練、あるいは恐れを伴うかもしれない。手放して心が楽になるのであれば、即決は難しくても、徐々に意思を固めていく心の準備ぐらいならできるのではないか。
心が喜ぶならGO
観念を取り払った際の自分の状態を想像したり、取りうる新たな選択肢を考えるとき、ご自身の心の動きをしっかり観察してみよう。
その想像に心は喜ぶだろうか?楽になるだろうか、ワクワクするだろうか、あるいは、穏やかになるだろうか。
前のステップにおいて例をあげた経営者について考えてみよう。内省を深めた結果、自分の所有しているこだわりや観念を手放す決断をしたとする。
そうすると、面白いことに、自分も社員も「会社を良くしたい」という想いは同じだったことに気づく。
「せっかく創業した会社なのだから、自分にとっても従業員にとっても素晴らしい会社にしたい」という、より本質的で心の奥底から喜べる意思(願い)を確認できたとしたら、翌日、その社員と共有する時間はより有益な時間になるだろう。
観念を取り払うことで、自分の心が楽になり、人間関係の無用な軋轢がなくなる。その結果、自身が一層傾倒できるような素晴らしい目標に邁進できる。
観念を取り払った後のプロセスは、慣れない道なので順調に進まないこともままある。しかし、心が楽になって喜んでいるならばきっと継続できるし、現実は少しずつ動いていく。
そのようなプロセスを何度も経験していけば、何か問題に直面したときに葛藤が少なくなる。ネガティブな感情と向き合うことに慣れてくる。
内省→観念の特定→観念の手放し→より自分らしい人生、というサイクルを玉ねぎの皮剥きのように何度も繰り返していこう。そうすれば、何年も経って振り返ったとき、「ずいぶん自分も丸くなったな」と感慨深く感じることだろう。
手放した観念が大きければ大きいほど、「より自分らしい自分」に近づいていく。
しかし、十分に気をつけて新しい道を進むべきだ。大きく変化した分、その後の反動も大きいからだ。
次回、内省の手引き最終回では、内なる意思や願いにもとづいてどのように生きていけばいいかを述べていく。
