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内省の手引きとブログ


ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(7/7)
感覚や直感で生きる? 時を遡って2019年6月、僕は「森のリトリート」というプログラムに参加した。友人の成澤俊輔さんからの紹介で、株式会社森への代表(当時)であられた山田博さんにお会いしたことがきっかけだ。 当時の僕は、今よりも悩み多き時期を過ごしていた。病気をきっかけに生き方や働き方を見直していた頃。活動の中心を東京から福岡へ移し、のちに挫折したものの農業にも手を広げていた。 ビジネス一辺倒だった頃の僕が出会うことのなかった、多種多様な価値観や人生観を持つ方々に多く出会い、様々な経験を共にすることを通じて、それまで当たり前だと思っていた価値観や世界観に大きな揺さぶりを受けていた。 さらに、創業した会社は大赤字の真っ最中。大病をしたあとに意を決して創業した会社が失敗する不安。なかなかうまく軌道に乗らず、焦っていたし、自信も失いつつあった。 「中村くんは考えてばかりいるから、もっと感覚とか直感に身を任せたほうがいいよ」 新しく出会った人生の諸先輩方が、口裏を合わせたかのようにそのように仰る。これまでは、「思考」というものをどれだけ研ぎ澄ますことがで

中村義之
2023年2月3日読了時間: 9分


ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(6/7)
想いを受け取るカタチ お金がない、でも稼げない(稼がない)、という行き詰まりで途方に暮れていた2022年11月某日。 「久しぶりに飲みにいきませんか?」 友人経営者の北川さんがLINEでお誘いしてくれた。今ちょっと金欠なので・・とお断りすると、「おごるので行きましょう」とのこと。断る理由がなくなった僕は日程を提案した。 飲み会の冒頭で、僕の金欠について心配してくれた北川さんの質問に答える形で、命とお金の葛藤と、稼ぐ意志がなくなっている状況について打ち明けた。 最初は僕の相談話だったけれど、湿っぽい飲み会は好きじゃないので、北川さんの会社経営や今後の事業方針についての話に話題を変えた。僕は人の会社の経営について一緒に考えるのが好きで、おせっかいかもしれないけれど、ついつい経営者自身と会社がもっとも輝く提案とか私見をお伝えしたくなってくる。 そんなふうに飲み会が進んでいって、そろそろ帰りましょうか、という頃だったと思う。 「今日、中村さんからもらった提案とアドバイスに対して、コンサルティング料を支払いたいので明日請求書を送ってください。」...

中村義之
2023年2月2日読了時間: 10分


ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(5/7)
農業の再開 会社の代表を退任する半年前の2021年4月、前年度の黒字化をきっかけに、数年前に撤退していた農業を会社の事業として再開することになった。 僕はメンタル疾患の療養中、無農薬の米と野菜で劇的に体調が改善した経験がある。そして、すでに述べたように大自然に心身を癒され、活力を回復するという恩恵も受けた。そんな僕にとって、農業という活動は言葉では言い尽くせないほど、あらがいがたい魅力があった。 福岡県太宰府市の中山間地に畑を借りて農園運営をスタートした。太宰府の霊峰、宝満山と四王寺山に挟まれた谷筋辺りの立地で、すぐ横を御笠川が流れている気持ちの良い場所だ。 開始直後の畑の様子 会社として農業専属のスタッフを雇用する選択もあったけれど、諸事情あって、代表である僕個人が農園専属になることを決心。会社の業務を午前中にこなして、午後から畑に繰り出すという日々が始まった。 畑仕事と内省の日々 4月から毎日畑に立つ日々と、会社をやめるきっかけになった葛藤を抱えていた時期とが偶然なのか必然なのか、重なることになった。自分の心を内省する環境としては最適だったと

中村義之
2023年2月1日読了時間: 9分


ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(4/7)
断崖絶壁のお堂 「このお寺に参詣したいんですが、2名以上じゃないと入山できないので、一緒に行ってくれませんか?」 当時、よく一緒に山に登っていた友人の泉健治郎さんにこんなメッセージを送ったのは、2021年6月末ごろだったと思う。 泉さんは、上場経験のある起業家で、彼が福岡に移住する前後に知り合った。知り合ってからの年月は浅いものの、僕は彼の人柄が好きになり、事業の相談や壁打ち相手になってもらっていた。 僕からの突然のお誘いにもかかわらず、泉さんは二つ返事で快諾してくれて、8月ごろにそのお寺に参詣する予定が決まった。 そのお寺というのは、鳥取県の山の中にある「三徳山三佛寺」。 その境内にある「投入堂」という断崖絶壁に建てられたお堂に参詣するには、滑落の危険のある細い山道や、鎖を使ってよじ登る急登を越えていかなければならない。参詣道の入り口には受付があって、安全のため、2名以上のグループでなければ入山できないことになっている。 例によってひょんなことからこの投入堂に参詣したくなったので、泉さんにお声がけしたというわけだ。 参詣道中の対話...

中村義之
2023年1月31日読了時間: 9分


ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(3/7)
登山と巡礼に救われる 長い無気力状態の自分を救ってくれたのは、登山と巡礼だった。 あらゆることに対してエネルギーが湧いてこない状態なのに、なぜか無性に山に登りたくなる。神社・仏閣にお参りしたくなる。その時だけは元気が出る。 2020年は登山1年目の初心者だったけれど、憧れの霊峰、白山のテント泊登山に挑戦したし、四国で雪山登山デビューも果たした。初心者にしては、上々のステップアップだ。 夏には、いつか行ってみたいと思っていた四国八十八ヶ所のお遍路を車で廻って、秋には出羽三山の羽黒山で修験道の体験塾に参加した。自然や神仏など大いなる存在に対して、「祈る」という行為の持つ尊さと力を、身をもって知ることができた。 2020年10月、白山。初冠雪の翌日に登拝。 創業4年後に事業の価値を確信 大自然にいざなわれるようにして、登山や巡礼に身を投じる日々が続くと、次第に心身に活力が蘇ってきた。 10年間に渡って執着してきた野心を手放して、もぬけの殻のようになっていた。そんな状態でも、大自然に対しては心から感動できて、その感動がエネルギーに転換されるという好循環。

中村義之
2023年1月30日読了時間: 5分


ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(2/7)
倒産寸前からの黒字化前夜 2020年の春は、ジェットコースターのような季節だった。 4年前に創業した会社が倒産の危機に瀕していて、銀行口座の残高は創業来最低レベルまで転落。早急に売上が立たなければ、翌月には従業員への給与や諸々の支払いが滞るという崖っぷちに立たされていた。 3月末ごろ、そんな状況が大回天して、続々と売上が立ち始めた。これまでの苦労は一体何だったんだろう。そう思えるぐらいの起死回生を全社一丸となって達成し、ほっと胸を撫で下ろした。 2020年3月末ごろといえば、新型コロナウイルス第1波の嵐が吹き始めていた頃で、初の緊急事態宣言を出す出さないの議論が噴出していた時期だ。 その頃の僕は、会社の赤字により自分の役員報酬を限りなく低く設定していて、生活費削減のために、東京・福岡の2拠点生活を止めて福岡100%の生活に移行しようとしていた。コロナとは関係なく、会社の窮地が故に下した決断だったけれど、結果的にその後のコロナ禍の生活を考えると、福岡の一拠点生活に転換できたのは幸いだった。 2020年4月初頭、東京で借りていた家を解約して退去。本来

中村義之
2023年1月29日読了時間: 7分


ベンチャー経営者だった僕が農家になった理由。「ただここにいるだけでいい」を信じる旅(1/7)
こちらの記事は、2023年1月28日、https://note.com/ に掲載した内容を転載したものです。 はじめに 「起業」、「起業家」、「ベンチャー」、「スタートアップ」 大学時代に起業を志し、20〜30代を起業家・経営者として駆け抜けた僕にとって、郷愁さえ感じる言葉たち。甘酸っぱい香りまでたちあがってきそう。 僕は、「起業家」という職業の衣装を着ることが好きで、とても気に入っていた。あまりに愛着があり過ぎて、死ぬまで一生この生き方を貫くだろうと思っていた。 本当に。つい最近までは。 そんな僕が、起業家という衣装を脱ぎ捨てて、「農家」になった。今では毎日、畑で野菜をつくっている。 起業家としての僕を知ってくれていた方たちにとって、突拍子もない変化に思われたことだろう。 当時は、「農家になる」という決断が自分の気持ちよりもずっと前を走っていて、なんでそんな決断をしたのか、自分でもうまく説明できない状態だった。 起業家としてのキャリアを断ち切った理由について、あまり説明を尽くさずに身をひいたので、それ以来疎遠になってしまった方々もいる。...

中村義之
2023年1月28日読了時間: 3分


上場&うつ病後に起業した僕が、4期連続大赤字でキャピタルゲイン全焼→5期目で起死回生の黒字化を果たした話(5/5)
起死回生の実績が続出。辛くも生き延びる キャッシュ残高は残り数ヶ月分、コロナに追い討ちをかけられた今年3月。なんと、そんなギリギリの状況で奇跡的に人材紹介の決定が続出。これまで決まらなかったことが嘘のように実績が出て、2ヶ月後にキャッシュアウトする見込みが、なんと10ヶ月近く先延ばしになるほどスパイクした。 サービス開始から昨年度までの移住転職の実現件数 5期目、黒字化が確定 その後、4〜6月の2020年度第1四半期も順調に実績を積み上げ、7月現在の売掛金が、来年3月までの必要コストを上回るほど積み上がって、創業以来初の黒字化が確実になった。 創業〜これまでの四半期実績 いったい、この苦しみ続けた4年間は何だったんだろう。開いた口がふさがらないほどの劇的変化で、いまだに信じられない気持ちだ。 結果的に、Jカーブを描くことができたわけだけど、運が足りなかったら、そのまま撃沈していた可能性だってある。 劇的すぎてにわかに信じられないけど、これだけは確実に言える。 ・メンバーが本当に力を尽くしてくれた ・クライアント企業や移住希望者のみなさんに本当に助

中村義之
2020年7月19日読了時間: 4分


上場&うつ病後に起業した僕が、4期連続大赤字でキャピタルゲイン全焼→5期目で起死回生の黒字化を果たした話(4/5)
あとちょっとで山頂!を何度も繰り返す地獄 最近読んだ本にこんなくだりがあって思わず笑っちゃったんだけど、 あと10分我慢して登れば山頂だと言われてひぃひぃ登ったのに、10分たっても頂上は現れなかった。もう少しだよ、本当にここからあと10分だから・・。その言葉にダマされながら、40年も山を登り続けてきた。もう、どうにかなっちゃいそう! 4期目は、本当にこんな感じ。何度もキャッシュが尽きそうになってしんどかった。 4期目の活動 4期目も、引き続き攻めの姿勢を崩さなかった。ここまできたらどんだけ先行きが見えなくても後に引き返すわけにはいかない・・。 ・キャリアコンサルタントを増員 移住希望者の登録が激増していたので、その受け皿としてキャリアコンサルタントを増員(業務委託)。1名体制から4名体制へ。「きっと決まる」「いつか決まる」と信じて・・。 ・エンジェルから資金調達 メンターをお願いしている荻原さんからエンジェル出資をいただく。これまでずっと自分100%でやってきたので大きな決断だったけど、1年間伴走いただいて心から信頼できる方だったので迷いなくお願

中村義之
2020年7月18日読了時間: 3分


上場&うつ病後に起業した僕が、4期連続大赤字でキャピタルゲイン全焼→5期目で起死回生の黒字化を果たした話(3/5)
ブログの反響で社会復帰を実感 1期目の年末ごろ、求人サイトの開発は間に合わなかったけど、ひとまずブログメディアだけでもリリースしようと思って、YOUTURN Blogを開設。 そこで上場と病気の体験記事をポストしたら、とても多くの反響をもらって、福岡に移住したい人や地域で活動している人にたくさん出会うことができた。 それまで「ぼっち起業」で人に会うのを避けてひきこもってた訳だけど、ブログの反響で「社会復帰できた感」が嬉しくて、「こんなに共感してもらえるんだったら仲間集めしたい!」と思うようになっていった。 そして、いろんな出会いでいろんな気づきを得て、「地方ってこんなことも、あんなこともできるよね」という可能性に夢をふくらませていった。 2期目は、僕の多動の傾向が裏目に出た年だったなと、振り返って思う。このときに撒いた種に今でも後悔はないけれど。 2期目の活動 ・農業を志す 「え?なんでいきなり農業?」って感じですよね。はい。 こうやって客観的に振り返ってみると、突っ込みどころしかないな・・ なぜ農業を始めたかについては、「僕が農業を始める理由」

中村義之
2020年7月17日読了時間: 6分


上場&うつ病後に起業した僕が、4期連続大赤字でキャピタルゲイン全焼→5期目で起死回生の黒字化を果たした話(2/5)
メンタルを病んだ僕の起業スタイル さて、僕も起業家のはしくれなので、創業理念などは人並みに持ち合わせているのだけど、それは過去に書いたブログに譲るとして、ここでは僕が「どんなスタイルで起業したか」を紹介したいと思う。 「精神的・経済的負荷を最小化して、小さくても早期に収益化する事業から始める」 今思えば何とも小さくまとまった、気の小さいやり方だなって突っ込むしかないけど、当時は不安しかなかったし、大真面目で考えてた。 上記のテーマを達成するためのスタイルを具体的に挙げると・・ ①株は100%自己資金。エクイティ、デット問わず外部資本は調達しない。 ②バーンレート最小化。東京は高コストなので、地元福岡で起業。 ③1から10まで全部自分でできる事業をやる。人を雇わない。 ④早期に収益を立て、以後は営業CFの範囲内で再投資する。 蚤の心臓で意思決定するとこういう起業スタイルの出来上がり(苦笑)。 4年後の今と比較すると、デットもエクイティも調達して、人も雇い、収益化がめっちゃ遅かった、という、、すべてのスタイルが崩壊したわけだ。 ではなぜ当初のスタイル

中村義之
2020年7月16日読了時間: 4分


上場&うつ病後に起業した僕が、4期連続大赤字でキャピタルゲイン全焼→5期目で起死回生の黒字化を果たした話(1/5)
こちらの記事は、2020年7月15日、https://note.com/ に掲載した内容を転載したものです。 この記事で伝えたいこと 「人は何度でも挑戦できる」 「病気の恐怖さえ、挑戦する人を阻むことはできない」 そんなことを伝えたいなと思って、このブログを書いてみようと思う。 割りと長文になってしまう気がするので、下記の概略にピンときた人は読み進めてもらえると嬉しい。 ▽こんな人に読んでほしい。 ・ハードシングス中の起業家 ・メンタル疾患に苦しむすべての人 ・挑戦したいけど一歩踏み出せないで悩んでいる人 ▽このブログの主なトピック ・筆者は上場直後にメンタル疾患で退任した元上場ベンチャー経営者 ・2年間の病気療養後に地元福岡でスタートアップを創業 ・病気再発リスクに怯えながらもゼロイチの創業に挑む ・しかし全然立ち上がらず、4年間大赤字でキャピタルゲイン全焼 ・倒産の恐怖、メンバーの離散、自信喪失などのハードシングス ・5期目、キャッシュアウト寸前で起死回生の黒字化を実現 ・ようやくスタートラインに立てた安堵感とともにブログ執筆を決意 概略はざ

中村義之
2020年7月15日読了時間: 3分


上場までの4年間と病気療養の2年間【当時と今の心境】(5/5)
病気になった当時の心境 今でこそPCに向かって当時のことを文章にすることができているが、病気になった当初は頭痛もするし吐き気もするし、おまけに文章を読む事自体が大変な作業だった。短期間の内に上場と病気を同時に経験して、様々な感情が混ざり合って、当時の心境を表現するのは難しい。 それでも一番強い感情としては「申し訳ない」という気持ちだった。IPO後の重要で多忙な時期に病気になって働けなくなってしまい、同僚やステークホルダーの方々に大きな迷惑をかけてしまった。肝心要の重要な局面で仕事ができなくなった罪悪感と、体調を崩して一線を退かざるをえない挫折感、病気を克服できるのかという不安感。上場は事業拡大の一つの大きなマイルストーンなので、当然喜ばしいことではあるはずなのに、それよりも挫折感などの負の感情が勝っていた。 そんな挫折の中でも、自分の将来に明るい展望を見いだせれば、少しは気が楽だったとは思う。しかし、病気になって当初は病気についての知識も少ないし、正常な思考力が失われているので、「2度と働けなかったらどうしよう」という不安が強かった。明るい展望を

中村義之
2016年11月26日読了時間: 8分


上場までの4年間と病気療養の2年間【病気の発症】(4/5)
病気になった直接的要因 前の記事で書いた働き方や環境が、体を壊す遠因になったと思うけど、直接引き金を引いた事象がある。それは前の記事でも触れた「これぐらいまでなら耐えられるだろう」というハードワークを再びやってしまったときに起こった。 毎日かなり短い睡眠時間で体を酷使し、それを一ヶ月以上続けた。だが、それ以前のハードワークと今回とで違ったことは、会社がマザーズに上場したばかりの状況で、事業に対する責任とプレッシャーがそれ以前の比ではなかったこと、数年に渡る疲労が蓄積していて、もはやハードワークを支える気力と体力が限界に達していたことだ。 病気の発症 そんな状況下でハードワークを続けていると、これまで経験したことのない体の症状が次々と表れた。具体的には、「眠らない」のではなく、「眠れない」状態なっていったこと。ベッドに横になっても不安と緊張が襲ってきて、動悸が激しくて落ち着かなくなった。また、そうなると早めに就寝しようとしても中々寝付けないし、朝もかなり早く目覚めてしまうのでまともに休養が取れない。業務中には、情緒不安定になって突然泣きたくなったり

中村義之
2016年11月25日読了時間: 6分


上場までの4年間と病気療養の2年間【仕事・働き方】(3/5)
みんなのウェディングでの僕の仕事は、最初はマーケティング部長、その後営業部長を兼務、その後両部長を兼務する形で事業本部長に就任する、という流れになった。 業務内容を書くことが趣旨ではないが、働き方とセットになるので時系列を追って書いていきたい。 1〜2年目:マーケティング 僕のメインの業務はマーケティングだったのだが、DeNAでは正社員は3名だけのチームだったので、それだけやってればいいわけではなかった。 コンテンツ企画からディレクション、カスタマーサポートや経理業務、営業やセミナーまで、かなり広い範囲の業務を担当していた。分社化して人が増えてからは、よりマーケティングに割ける時間は増えたが、その分採用面接や評価面談などマネジメントにかかる時間も増えていった。 分社化してから病気になって退任するまで、4年間マーケティングに携わったわけだが、最初の1年間は自分の中では悔しい結果に終わってしまった。全然結果を残すことができなかったし、打った施策で満足できる成果をあげることもできなかった。 今振り返って思えば、当時は知識も経験もほとんどなくて、実施した

中村義之
2016年11月24日読了時間: 5分


上場までの4年間と病気療養の2年間【事業内容】(2/5)
僕が働いたみんなのウェディングという会社について簡単に説明しておきたい。 僕や事業のことを知らない人からしたら、「なんで体を壊すまで働いたの?」って思うのは当たり前だと思う。ただ、それだけ情熱をかけられる事業内容であることも同様に知ってほしい気もする。 既にご存じの方は読み飛ばして次の記事を読んで頂いて結構だ。 事業内容 みんなのウェディングは、結婚式場の口コミサイトだ。 結婚式場を探しているカップルは従来、大手結婚情報誌の広告情報を主な情報源として意思決定しなければならなかったのだが、みんなのウェディングを利用すれば、実際に結婚式を挙げたカップルによる結婚式場の口コミ評価や実際の挙式費用を閲覧することができる。 結婚式は基本的に「一生に一度」で、「多くのゲスト」を招待し、平均300万円という「高額な費用がかかる」イベントだ。 そんな結婚式をどこの式場で挙げようか検討しているカップルにとって、本音の口コミとリアルな費用明細が閲覧できるサイトは、当時も現在もみんなのウェディングだけなので、これらをキラーコンテンツとして、多くのユーザーの支持を集めて

中村義之
2016年11月23日読了時間: 3分


上場までの4年間と病気療養の2年間【創業の経緯】(1/5)
こちらの記事は、2016年11月22日、 https://youturn.jp/ に掲載した内容を転載したものです。 はじめに 26歳でベンチャー企業の取締役になった僕は、会社設立から3年半で東証マザーズへの上場を果たしたが、その過程で体を壊し、上場から半年後、体調不良で役員を退任するに至った。この一連の記事では、会社の上場までの4年間の経緯と、病気になって療養した2年間の状況・心境を書いてみようと思う。 これから初めてお会いする人に自分のバックグラウンドを知っておいてもらいたいということもあるし、もし同じように体調に悩みがある人、あるいは心配な人の参考になると幸いだ。 会社設立までの経緯 本題に入る前に、簡単に自己紹介をしておきたい。 1984年に福岡で生まれた僕は、高校までを福岡で過ごし、大学から関東(つくば)に出て、新卒でDeNAに入社した。DeNAでは最初2年間ショッピング事業部に配属。3年目に新規事業室に異動となって、「みんなのウェディング」というサービスに従事することになった。この事業に携わったことが、その後の僕の人生を大きく変えてい

中村義之
2016年11月22日読了時間: 2分
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